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座禅の個人的体験記
畳が広がる大きな道場、薄暗い中に座る時間。座禅。
「数息観」呼吸を数えなさい。するのはそれだけです。
その教えを愚直にやり続けてみると(DO)、ふと、呼吸そのものになる(BE)。
わたしはまあるい呼吸の球体そのものになって、吸っては少し上にもちあがり、吐いては下に広がる。
そんな揺らぎを繰り返していました。
そして、ある時から、わたしと外の境目である膜が溶け、呼吸だかわたしだかが流れ出し、畳に広がっていきました。
呼吸に合わせて、広がったり、少し戻ってきたりしながら、なお広がり続けていきました。
わたしを中心に、寄せては返す波打際のよう。その様子をぼんやりと見続けていました。
大きな道場で楕円になって座るわたしたちがまるで水面の上にいるみたい。「ふふ、水面の上に浮いて座っているみたい」一瞬、微笑んだ自分を思い出せます。ぼんやりとした視界から、そんなビジョンを見ていました。
座禅の終了を告げる鐘が無情に鳴り響き、畳いっぱいに広がりゆるみきった自分のまま、体の枠におさまらない自分をひきずるように帰宅する。家がすぐ側でよかったと思いながら。
座禅のあとは不思議な体感に、頭は脇役となってぼんやりとした感じになる。そして泥のように眠る。
わたしの座禅の体験記。
いのうえ
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