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呼吸と身体感覚にこだわるに至った個人的経験と論拠

​■PTSD外来で出会ったクライエントさんの様子から学んだこと
わたしが働いていた精神科クリニックには、PTSD症状で苦しむ方が多くいらっしゃいました。そこでお会いしたみなさんの様子は実に振り幅の広いものでした。エネルギーが減退しているような様子から、突如、非常事態下のように興奮状態になったり。過覚醒から低覚醒までの極端な変化を示していました。「言葉」によるカウンセリングだけでは事足りず、言葉で語れるまでに、いろんな準備が必要でした。

最初に気になったのは、浅い呼吸と力の入った肩でした。肩は上がっていて詰まっているようでした。それに連動しているかのように、のど元は縮み、何か詰まっているみたいな浅い呼吸。「深呼吸をしましょう」と促しても、上手にできない。なかなか息を吐き出せないため、当然、深く吸い込むことができない。姿勢から変えていくことで、呼吸に変化が現れました。
■たくさんの呼吸法の実践
振り返るとわたしのあゆみは実に様々な呼吸法を学ぶ機会に満ちていました。3歳から始めて今もライフワークになっている水泳、学生時代に始めた弓道、社会人になってから長らく続けているヨガ
水泳は横隔膜呼吸と腹式呼吸が連動する呼吸、ヨガには実に多様な呼吸法があり、片鼻呼吸法、ウジャイ呼吸と呼ばれる喉元を鳴らすような呼吸法、リズムよく腹式呼吸を行う方法などがあり、経験してきました。弓道は立禅、立っておこなう座禅・瞑想と呼ばれ、呼吸をとても大切にしています。八節から成る射法の流れのなかで、胸式呼吸から横隔膜呼吸、丹田呼吸と意識する箇所を移しながらの呼吸によって動作が生きる、生気体となるとされています。
 
また、寺町に住んでいたこともあり、座禅の会は身近なものでした。そこでは数息観という方法を教わり、実践していました。呼吸を数えることを通して、自分の体が呼吸にあわせて膨らんでは縮むを繰り返すことを深く感じてゆくと、自分がそのゆらぎそのものとなり、気がつけばすっかり思考から離れている時間でした。座禅の体験記はこちら。
■カウンセリングに呼吸法を取り入れるための論拠
「カウンセリングに呼吸をしやすくする体の動きと共に呼吸法、身体感覚の拡大をうまく取り入れられないか」そんな考えが浮かびました。実際にカウンセリングの場でみなさんに提供するならば、それが論理的に有効なのかを検討しなければ、臨床現場で自信をもってやっていけない。そんな思いからたくさんの論文や文献にあたりました。
以下は「呼吸法と身体感覚を通しての内観」が不安やパニック症状に対して有効な方法だと裏付けるに足るマインドフルネスや呼吸法のエビデンスを集めてまとめた文章です。自分のための多角的な論拠を寄せ集めてまとめた文章なので、少し硬い文面となっていますが、関心を寄せてくださるならうれしいです。
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呼吸と身体感覚にこだわるに至った論拠

■体と感情と思考のつながり
脳神経学者Damasio (1994 田中訳 2010) は身体反応と感覚が感情を作り、感情は思考による決定を助けるとし、感情を扱う大脳辺縁系の破損は、大脳新皮質による適切な判断機能を妨げると述べた。これは大脳中枢が頂点にあり、全末梢神経系はそれに従属する、という従来の考えを一新させる相互依存的な三位一体脳説である。

人間が生命の危機に晒された時“生き残る”ことを唯一の目的とし、思考、感情、身体感覚それぞれを司る脳の大脳新皮質、大脳辺縁系、脳幹は三位一体となって階層的に情報処理する(Maclean, 1985; Panksepp, 1998; Wilber, 1996 岡野訳2002)。その処理に失敗した時、言語を介さない潜在記憶(手続き記憶、情動記憶、知覚記憶)にトラウマを想起させるものが記憶される。この脳神経系の学習による反応が心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic Stress Disorder:以下PTSD)の諸症状であるとの解釈に立ち、カウンセリングの場で脳の三位一体を扱うべく、身体感覚へのアプローチ法を検討する。

■マインドフルネス
人間の生命活動と不可分な呼吸を司る第1階層/背側副交感神経系/脳幹を入口とし、大脳辺縁系/第2階層/ 交感神経系と第3階層/大脳新皮質、脳神経系、3階層全てに変化を与えうる可能性のある方法として、近年先行研究が増えているマインドフルネスを取り上げることで、呼吸法、瞑想法、身体感覚の心理臨床における有効性について言及する。

心理療法としてマインドフルネスを最初に取り上げたKabat-Zinn, J (1944年–)は、海外で活躍した仏教学者,鈴木大拙(1870年–1966年)の洋書で坐禅を学び、ヨガの思想を取り入れたマインドフルネスストレス低減法(Mindfulness- Based Stress Reduction:以下MBSR) を開発した。MBSRはマインドフルネス瞑想法、呼吸瞑想法、ボディスキャン、静座瞑想法、ヨガ瞑想法、生活瞑想法(歩行瞑想法、食べる瞑想法)の5技法で構成される (Kabat-Zinn, 1990 春木訳 2007)。

身体と呼吸に注意を払い“今”を意識することは、無意識に外/内的世界に自動反応する癖を断つことを可能にする。結果、物事をありのままに知覚し、注意/集中力を治癒や問題解決といった意識的な選択に有意義に活用でき、人生を豊かにする(Kabat-Zinn, 1994)。無意識の支配が進むと、身体の発するメッセージに鈍感になり、身体問題の悪化に気が付けず、病気に至る。我々は身体という重要な内的リソースに慣れきってしまい、活用できていないと指摘する(Kabat-Zinn, Segal, Williams, & Teasdale, 2007 越川・黒澤訳 2012)。
Kabat-Zinnはマサチューセッツ大学医学部のストレスセンターで慢性疼痛症、心身症、不安障害、摂食障害を対象にMBSRを実践した(Kabat-Zinn, 1982)。クライエントは3分間座って呼吸する“ただ存在する体験”から始まる8週間のプログラム(Kabat-Zinn, 1990 春木訳 2007) を行う。

■マインドフルネスな状態を作るために必要な態度
(a)自分で評価を下さない姿勢、(b)忍耐強いこと、(c)初心を忘れないこと、(d)自分を信じること、(e)むやみに努力しないこと、(f)受け入れること、(g)とらわれないこと、の7つの態度を挙げている(Kabat-Zinn, 1990 春木訳 2007)。

■マインドフルネスな状態を作る方法
マインドフルネス瞑想法は“自分の呼吸に注意集中し、生じる身体感覚を感じ、観察する”シンプルな技法である。鼻孔や胸部よりも横隔膜と腹部(丹田)に意識を集中し、吸気に伴って横隔膜が下がり、胸部が拡張し、次第に酸素が胸部から腹部まで広がるという一連の身体の動きに注意し、体感を味わう (Kabat-Zinn, 1990 春木訳 2007)。自分の呼吸を観察する訓練は、自己と体験を同一化させない脱中心化(Segal , Williams, & Teasdale, 2002 越川訳 2012)の視点を育てる。結果、慢性的な疼痛を一歩引いた状態で受容できる。また、食べる瞑想“レーズンエクササイズ”はひと粒のレーズンを前に、初めてレーズンに出会う気持ちで視覚と触覚と嗅覚で丁寧に関わる。その後、レーズンを口へ入れ、味覚と舌触りでレーズンを経験する。“食べる”という日常の行為が新しい活動として経験される体験は日々を鮮やかに感じる機会となる(Kabat-Zinn, 1990 春木訳 2007)。

■呼吸法をPTSD治療に活用する
呼吸法はPTSDのプライマリケアとして推奨されている(日本トラウマティックストレス学会,2013)。フラッシュバックや急な不安で自己制御感を失ったクライエントが、呼吸を意識的に行うことで再び自己コントロール感を取り戻す経験を積めるためとしている。

■マインドフルネスな状態を測定する尺度 MAAS
Brown, & Ryan(2003)によってマインドフルネスな状態を測定する尺度Mindfulness Attention Awareness Scale(以下:MAAS)が開発された。マインドフルネスを“気付き(awareness)”と“注意(attention)”とを内包した、内外に意識が及んでいる状態と定義し、同時に不安や抑うつや敵意の低さを指摘した。彼らは、マインドフルネスを既存概念であるWell-beingと関連付け、因子分析や妥当性の検討を重ね、マインドフルネスな状態を測定できる15項目からなるMAASを完成させた。この開発によりマインドフルネスの定義づけが確立し、マインドフルネスに関する研究は大きく前進したと言える。
 現在、欧米で用いられているマインドフルネス尺度は8種類に及び(大谷, 2014), 日本からは27項目からなる尺度が公表された(守谷・斎藤, 2013)。

■MAASを用いたマインドフルネスとPTSD症状の相関を示す先行研究 
MAASを用いた先行研究で興味深いものがある。ニューメキシコで124名の消防士を被験者として、慢性的なストレス状態に曝露される職業人が抱える諸問題(アルコール依存、身体的、人間関係の問題)と彼らの状態(抑うつ、楽観性、悲観性、職業へのストレス耐性、PTSD症状、個人的成熟度)をそれぞれ検査用紙にて測定し、関連性を比較検討した研究である。
結果、マインドフルネスな状態にある消防士は、PTSD、抑うつ症状、身体的苦痛、アルコール依存の問題とは負の相関にあり、ストレスフルな状況下での感情統制や認知の柔軟性とは正の相関があることを示した(Smith, Ortiz, Steffen, Tooley, Wiggins, & Yeater, 2011)。
また、マインドフルネスな状態は、トラウマ記憶、ストレス記憶に関する感情統制力を改善/強化させると示した先行研究もある(Follette ,Palm, & Person, 2006)。これらはMAAS尺度により、マインドフルネスという主観的体験を量的に把握可能となり実現した研究である。

■マインドフルネスを神経生理学的側面から解明する
ここ数年、マインドフルネスの主観的体験は、脳波研究や画像診断を用いた神経生理学的側面から研究されている。大谷(2014)は昨今の研究結果を要約し、マインドフルネスの実践が(a)注意/認知を司る大脳部位(全部帯状回皮質, 前頭前野、島、線条体) (b)情動調整を司る大脳部位(腹側前頭前野) (c)身体感覚を司る大脳部分(島皮質, 側頭頭頂接合部)、全ての働きに作用していると総括している。その作用が認知機能からのトップダウンで生じるのか、身体感覚からのボトムアップで生じるのかは意見が二分している (大谷, 2014)。また、マインドフルネスの訓練による右大脳皮質厚の増加と海馬の高密度化が指摘されており(Holzel, Ott, Gard, Hempel, Weygandt, Morgen, & Vaitl, 2008)、マインドフルネスによる海馬の可塑性への寄与が示唆されている。

■呼吸法を神経生理学的側面から解明する
呼吸に関わる主要な筋肉である横隔膜には随意/不随意の自律神経系が網羅され、横隔膜が固い状態では十分機能しない(久保, 2011) 。マインドフルネスに横隔膜を意識した呼吸が必要 (Kabat-Zinn, 1990 春木訳 2007)との指摘は神経系的視点からも理に適っていると言える。
意識的な呼吸によって、脳内と腸内ではセロトニンが増加する。セロトニンは自律神経機能を調整し、交感神経の覚醒を抑制するという (有田・高橋, 2012)。セロトニンを増加させる方法は(a)日光に当たる(b)よく噛む(c)リズム運動(d)呼吸法、であり(有田・中川, 2003)、MBSRは(a)以外の項目を網羅している。
加えて、セロトニンは大脳新皮質において最初に体験を認知する海馬の再生に寄与するとされている。海馬は細胞分裂可能で可塑性があり、成人後も海馬損傷は回復する余地があるという(Hebb, 1949 鹿取・金城・鈴木・鳥居・渡邊訳 2011; Nakatomi, Kuriu, Okabe, Yamamoto, Hatano, Kawahara, Tamura, Kirino, & Nakafuku, 2002)。PTSDと海馬損傷の相関関係は先行研究で明らかであり、脳内セロトニン増加がPTSD治療の鍵だと推察する一方で、セロトニンは腸内に98%、脳内には2%にとどまり(久保, 2011)、加えてセロトニンは中枢神経内の他物質との複雑な連携の中でのみ機能する (大平, 2001)と示した先行研究がある。
脳神経生理学は未踏の領域が多いが、セロトニンと脳神経領域の研究発展はPTSDの理解に寄与するだろう。

■西洋化するマインドフルネス
マインドフルネスが科学的に証明され、西洋での認知向上に伴い、解釈の幅が広がり、Mindfulness–Based療法でもマインドフルネスの定義と活用目的には差異があり(大谷, 2014)、単なるリラクゼーションテクニック、または神秘体験やトランス状態、と両極な誤解/偏見が生じている(Gunaratana, 2011 出村訳2012)という。
ここでKabat-Zinn以外のマインドフルネスの定義を比較したい。行動する仏教(Engaged Buddhism)の実践でノーベル平和賞受賞候補となったThick Nhat Hanhの定義は仏教瞑想に根差す。マインドフルネスとは自分の考えと行動、その行動の結果を意識すること、その実践とは一瞬一瞬の意識的な呼吸と歩行であり、それは瞑想であるという。各自がマインドフルネスな状態で平和と非暴力を意識的に選択することが、世界平和の始まりである。また、マインドフルネスな状態は自身の痛みに気付くことを可能にし、他者の話に愛情を伴って傾聴が可能になるという (Thick, 1987 棚橋訳 1999; Thick, 2003)。
一方、Meta Cognitive Therapy (Wells, 2009 熊野他訳2012)は身体感覚や呼吸に注意集中はせず、認知要素である思考の癖に注意深く気付く療法を展開している。
マインドフルネスの定義は療法や実践者間で差異があるが、MBSR (Kabat-Zinn, 1990 春木訳 2007) は仏教瞑想の要素を維持している第三世代行動療法(大谷, 2014) であるため、本論文ではこれを選択している。

■マインドフルネスを東洋文化の中に見出す 
ここからはKabat-ZinnのMindfulnessとMeditationを東洋文化が長い歴史で培った技法と比較して理解する。
数息観という方法 Kabat-Zinnが影響を受けた禅道における呼吸法について言及する。中国、天台宗の開祖である智凱(AD538年~AD597年)は中国南北朝時代6世紀前半に釈禅波羅蜜次第法門、通称“次第禅門”をまとめた。大乗仏教の禅観や禅法を修行者の浅深段階に応じて体系立てた、最初の禅門書とされる(大野, 2005)。
この禅門は止観という概念を体系づけたものであり、止観とは静と動を意味し、諸雑念を払って、心を一つの対象に注ぎ、心の働きを “止”め、それにより正しい智慧を起こし、己の心をあるがままに“観”察が可能になるという教えで (大野, 2007)、Kabat-Zinnによるマインドフルネスの概念とほぼ同義である。
 智凱が初心者向けに説いた止観の方法は阿那波那門、数息観である。これは坐禅中に自己の呼吸の出入りの数を数えることで呼吸に注意を払い、散乱した心を鎮める方法で“息をもって禅門となすは、すなわちよく行心(仏の教えを実践すること)に通ず”(大野, 2008) に基づく。

■丹田を活用する方法 
Kabat-Zinnは丹田に呼吸を送る方法を示したが、中国、晋の葛洪は抱朴子という教説書で、丹田は身体に3つあり、臍下二寸四分の下丹田、心臓下の中丹田、両眉の間から三寸入った上丹田とし、神はそのいずれかに内在しており、重視するよう説いた(葛洪, 1990)。丹田は気が溜まる急所と重なり(渡邊, 2011)、気海とも言われ、治病の効果があると、智凱は後の文献、摩訶止観に著した(渡邊, 2011)。武道にも共通項がある。著者が専心した弓道は丹田と横隔膜を意識した呼吸法を説く。弓を引く動作と気息が合うと丹田から原動力が湧き、生気体となる(唐沢, 1976)。     

Kabat-Zinnのマインドフルネスが影響を受けたヨガは、身体のポーズと呼吸法の二つから構成され、多数の呼吸法を教示している。例えばプラーナヤーマ呼吸法は、深く息を吸って止め、身体の反応をじっくりと味わい、不快感と共に過ごし、これ以上我慢できないところで息を吐くことで、安堵感と解放感を味わう技法である。身体と周囲の環境(周囲は拡張された身体と説く)との間の原子/エネルギー交換を体感する。生命エネルギーであるプラーナを呼吸と共に意識的に全身へ行き渡らせ、身体、心、魂の健康バランスを保つことで、自己治癒能力が活性化する(Chopra, & Simon, 2004 和泉他訳 2006)。
ヨガでいうプラーナは、古代中国医学が経絡と呼び、気が身体全体をめぐる通り道と多くの共通点があり、葛洪の示す3つの丹田と重なる(渡邊, 2011)。

このようにマインドフルネスは、古来より東洋に伝わる禅道、ヨガ、武道、中国医学から強く影響を受けている。日本人の文化的感受性的にも浸透しやすく、どの心理療法とも親和性が高いと推察する。
 
先行研究の多いマインドフルネスの検証を通して、「呼吸法と身体感覚を通しての内観」を可能にする複数の方法を自身の臨床現場で選択していくことの論拠としたい。

いのうえ 著 2015年
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