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海外で暮らすあなたへ

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・海外転居に伴う環境や価値観の変化にストレスを感じ、適応できない不安を抱いている方

・日本での慣れ親しんだ人間関係やコミュニティから離れて、悩みを相談できる相手がいない孤独さに苦しんでいる方

・外国人パートナーとの間のやり取り、価値観のずれに苦労している方

・なんだか理由はわからないけれども、自分らしくいられていないことに苦しんでいる方

・海外生活にはすっかり馴染んでいるが、日本から遠く離れたはずなのに、日本に残してきた何かに今もなお心わずらわされている方

状況はそれぞれですが、苦しさとともに海外に住んでいらっしゃる方とご自宅からつながることができる、LINEカウンセリングをしています。 *このサービスは各国の医療費控除に対応しておりません

 海外で生活しているあなたはどのような経緯で、日本を離れて異文化に身を置いているのでしょうか。自分の意志で来た方、会社の異動で来た方、家族の都合に伴って来た方、かつての環境からはるか遠くへ離れる必要があった方など、いろいろな理由や背景があると思います。

■海外で暮らすということは、その文化が有する意味づけ、解釈に身を置くこと
 海外での生活環境は、日本で慣れ親しんだやり方が通じないことばかりではないでしょうか。まず、わたしたちは外国人として、母語ではない言語をツールに
暮らし始めることになります。そして、そこは、価値観・コミュニケーションパターンといった文化的背景の差異、肌の色・顔の形・髪の色等の人種的差異、言語・国籍といった民族的差異*1といった人間の多様性に触れる機会に満ちています。
 一方、日本はハイコンテクスト文化と分類されるように*2 、文化内で共通の認識が多く、暗黙の了解で察しあう文化、言葉を介さずとも、ある程度通じ合う傾向が強い文化圏にあります。

 コロナ禍の初期に、ヨーロッパで暮らす中で、感染を恐れる人々の何気ない視線を通して「自分がアジア人であること」を強く感じさせられました。

 加えて、あなたがどう人から見られるか、見られ方は他国に住むことで大きく変わってきます。その異文化が有している価値観、習慣、制度、その国と日本の間に横たわる歴史的文脈に身を置くことであり、あなたの社会的な立場に付される意味合いが変わります。それはどの国のどのエリアで暮らすのかによっても異なってきます。

 例えば、男性/女性に関する捉え方、アジア人に関する捉え方、日本人に対する捉え方、そしてあなた個人が有している諸条件に対する捉え方(年齢・独身か既婚か・子どもの有無・職種等)。暮らす場所によって、違った解釈が付されるでしょう。それらは多かれ少なかれ、そこで暮らすあなたに影響を与え、暮らしやすさにつながる場合もあれば、暮らしづらさにつながる場合もあるでしょう。

■集団主義社会と個人主義社会という文化的背景の違い

集団主義社会と個人主義社会というとらえ方をするならば、日本は果てしなく集団主義社会寄りです。例えば「世間体」という言葉。世間での位置づけにおいて適切にふるまうことをわたしたちに強いる言葉です。権威は個人ではなく世間が持っているといわんばかりに。「わたし」よりもわたしたち」を優先することを暗に教え込まれていきます*8。

一方で、フランス(=個人主義社会)で暮らしていると、しょっちゅう起こる地下鉄のストライキによって、電車が使えないなんてことは、もはや日常です。1か月にも及ぶストライキに対して、7割近いの人がストライキを支持する世論調査をニュースで目にすると、誰かが自分の権利を主張をすることに対しての寛容さを思い知らされます。その寛容さは、次に自分が参加するデモ行進「自由な日々の行動選択」への権利を主張することと同義なのでしょう。個人主義社会の文化的背景から起こっているのを感じます。日本での暮らしを基準にすると、ここでの体験との間には差異が感じられます。

 ヨーロッパで起こるテロは「集団主義社会と個人主義社会の文明の衝突」と捉える学者がいるほどです*7。そんな衝突が起こりうるくらいの高い壁、深い溝が文化間には存在し、わたしたちはそこで異文化生活を行っているとも言えます。

■「夫婦」「家族」という言葉が指す意味、そこでの役割が違ってくる

集団主義社会と個人主義社会を背景に生きてきた人たちの間では「家族とはなにか」「個人の自由とはなにか」に自然と違いが存在しています。

例えばこの二つの社会的背景を持ったふたり(日本人の女性と欧州の男性としましょう)が「夫婦」「家族」になる時をイメージしてみましょう。集団主義社会育ちの妻は個人の選択においても、家族という集団に非常に多くの影響を受けています。集団の意を汲んだ個人の選択をしようとする。家族を第一にとらえて、家事にたくさんの時間を割き、それを阻まない範囲で個人的選択をしようとする。個人の喜びや個人のケアを時に後回しして家族のために尽くしたりする。それがよしとされる集団主義で育ってきたゆえの価値観です。

 

一方で、夫は休みの日は自分ひとりで楽しむことに熱心で、個人の自由を謳歌しています。それは妻から見たら自分勝手で家族に貢献しない夫にしかみえないでしょう。

 

では、そんな個人主義社会で生まれ育った夫の目には、その妻はどう見えているのでしょうか。「保守的で交友関係を広げずに家の中ばかりにいて、個人的成長と発展を望まない、輝くことを忘れてしまった女性」

まさか夫から自分がそんなふうに見られているなんて。想像することすらない視点ではないでしょうか。ある日唐突に夫側から別れを切り出された妻は、献身的に仕事と家族のケアとを両立してがんばってきたのに、いったい何が悪かったのかと驚きを隠せない。背景とする文化の違いはこんな風に表面化したりします。

家族・家という集団へのコミットの度合いは、文化ごとに大きな違いがあります。そして同時に、個人の自由においても。このすり合わせは国際間カップルにおいてとても大きなチャレンジとなることでしょう。

 集団/個人主義社会の切り口からこの例をご紹介しましたが、これも「国際結婚の難しさ」の一言で済まされてきたことでしょう。

■海外暮らしでは、なんらかの喪失体験をしている
今回例に挙げたように、ヨーロッパで暮らすわたしの場合は、かつての集団主義的文化的背景を失った中で暮らしています。このように、海外転居に伴って、多かれ少なかれ、手放したものが誰しもあることでしょう。気づいていないなにかも含めて。

 

慣れ親しんだ人間関係、住み慣れた町や地域、力が発揮できる仕事、社会的立場、担っていた役割、日本では有効だった自分の強み、自分の気持ちや考えを十分に伝えられる日本語という言語。日本では誰もが前提としている価値観や評価軸、日本文化に根差す生活様式。それらから切り離された暮らしに生きることは一種の喪失体験と言えるでしょう

喪失を受け入れられるようになるまでには、いくつかの段階があり、ある程度の時間が必要だといわれています*3。その過程で、不安感、喪失感、孤独感、無力感、抑うつ、怒り、葛藤、等、多様な感情、症状を伴う場合もあります。

 

しかし、それは海外への転居の直後に起こるものばかりでもありません。不安と期待が入り交じる中、海外での新生活が始まり、最初は観光気分にも似た新鮮な気持ちでせわしなく日々を過ごしてひと落着きした後、日常生活としてそこでの生活を捉え始めた頃に、生きづらさや不満、ストレスが多様な形で表出することがあります。原因に気付くのは難しい程度に時が経っている場合も少なくありません。

■海外で暮らすことは、それだけで十分にチャレンジングなこと

自分の元来の強みが強みとして活かせない場所、今までの価値観が通じない世界、日常のなんでもないことをするのにとてつもない不便さが伴う異国で生きることは、とてもストレスフルなことです。そう、今、みなさんはとてもチャレンジングな環境に身を置いてらっしゃるのです。そんな中で大切なことは、今の自分がものすごく頑張っていること、時に無理をしていることにしっかりと気づくこと、負荷がかかりすぎている部分があること、しっかりご自身を労うことが必要なこと。これらに、ちゃんとご自身で気付いていることがとても大切です。

■海外の生活に自分自身をどう適応させていますか?

環境が変わっても、人は様々な方法を用いて、新しい環境をサバイブしていきます。新たな環境で生きていくために、慣れ親しんだ価値観を維持しながら、一旦横に置き、新たなの価値観を受け入れていくプロセスを経て、新旧の価値観を共に大事にしながら、自分に心地いいバランスを見つけ出せる、そんな順調な方ばかりではありません。

■人はいろんな方法を用いてサバイブしている

新たな場所でのやり方を一切排して、世界を閉ざすことでご自身を守る選択をされる方もいるでしょう。または、以前の価値観の一切を排して、新しい価値観の世界へ完全に入り込むことで新しい自身のバランスを取り直す方もいるでしょう*4。人は、さまざまな方法を意識的、無意識的に選択して、自分なりのバランスを取り、サバイブしていきます。しかし、無理があることに気付かずにいると、さまざまな形で無理が表出してきます。

 

生まれ育った国ではない、ここで暮らすことに何らかの意味を見出そうとする、何らかの意味づけをしようとしている自分に気付くことはありませんか?それはあなたが無意識でしているストレス対処法のひとつです。ストレス対処能力を測る指標にSOC(Sense of Coherence・首尾一貫感覚) というものがあります。*5   人は自分の人生は一貫性があり、生活の中で起きる出来事はある程度、把握可能であり、対処可能であり(対処できない時には人は手を貸してくれると感じられており)、人生に起きることには何らかの意味があるという確信を有している、その状態はSOCが高いと言え、健康な状態であると言えます。一方で、ストレスを感じている時はSOCが低いという相関があります。海外で暮らし始める時、自分の回りにあるあらゆる新しい出来事との出会いにおいて、人は無意識にこの新生活で起きる出来事に意味づけをし、自分の有している強みをフルに活用し、自身と環境をすり合わせて乗り切ろうとします。SOCをどの程度有し、活用できるのかが試されている局面であると言えます。海外生活において、人は無意識に自身の能力をフル回転させて対処しようとがんばっているのです。

■海外で育つ子どもが経験していること

「日々ストレスを感じていて、両親にキツイことばかりを言ってしまう自分を変えたい」というご希望で高校生とカウンセリングしたことがあります。アメリカ生まれ、アメリカ→ヨーロッパ育ち、日本人母とヨーロッパのある国出身の父との間で育った彼女は、3か国語を流ちょうに操り、かなりのレベルに到達している趣味を持ち、複数国の大学受験にチャレンジする準備をしている優秀な女性でした。友達のこと、大好きな趣味のことを話す中で、彼女の言葉と表情のズレが気になり、話を聞いていくことでたどり着いたのは、彼女のストレスの根っこでした。

 

ひとつめは、何度も何度も友達と出会っては別れることを繰り返す喪失体験でした。ふたつめは、彼女がずっと続けているかなりのレベルに到達している習い事についてでした。アメリカでの評価軸で技術を磨き続けてきた彼女は、引っ越し後、その技術、手法がヨーロッパではほとんど評価されないことに愕然としたことを語りだすのです。アメリカでの評価軸とヨーロッパでの評価軸の相違により、どう打ち込んでいいのか、方向性を見失ってしまった混乱、悲しみがそこにはありました。それも一つの喪失体験と言えるでしょう。

 

知的な彼女は自分の人生の価値を理解していました。3か国語話者としていくつもの文化で暮らす経験ができたことを親に感謝するべきだと頭は理解しながらも、なぜか苛立ち、感謝とは真逆の言動を親にしてしまう自分を責め続けていたのです。自分のストレス、悲しみの根源に気づき、それに触れることができた彼女は、思春期という自身の内側の複雑な変化を抱えながら、今、複数の異文化に身を置き、複数の価値観に自分を調整させ続けながら成長している負荷と葛藤に気付き、自分のがんばりを認めることができました。そんな頑張る自分に与えるご褒美と、自分のストレスを発散する適切な方法を一緒に考えだし、毎日の生活で実践することでカウンセリングを終えました。

 

海外で育つ子ども達は思春期という子どもから大人に移行する複雑な身体的感情的な変化に加えて、異文化間の多様で時にアンビバレントな価値観の中で葛藤し、新しい価値観に適応しサバイブするために馴染みのあるものを手離す喪失経験を連続的に経験しながら育っている最中なのです。

■海外で暮らす国際結婚家族の中で起こっていること。その中で育つ子どもが経験していること

■居住地域が家族に与える影響:

国際結婚家族が暮らしている地域はパパまたはママどちらのホーム国ですか?それともどちらでもない第3国で暮らしているでしょうか。これは環境要因として家族に影響を与えます。ホームで暮らしている側は言語や文化への慣れ、元々の知人たちとのつながりといった、継続した文脈の中で暮らしているため、変化も少なく、家族外のコミュニティやリソースとつながり安く、安定感があります。家族内でもホームで暮らしている側が担う役割は必然的に多くなるでしょう。一方で、異文化暮らしに飛びこんだ側は、不慣れな暮らしになれるためにたくさんのエネルギーを使っていることでしょう。元来の気質によりますが、不慣れな土地で友だちのつながりもなく、それらの不安を自分一人で抱えて孤立化してしまう人もいるでしょう。

第3国で暮らしている場合は家族総出で新天地にて生活をゼロから組み立てるチャレンジをすることとなるでしょう。子どもは学校で、パパは職場で、ママは暮らしの中で。皆が同じように負担を抱えながらそれぞれチャレンジしている似たような状況において、同じ方を向いて前向きに協力しながら励ましあいながらこの大きな変化を超えていける関係にもなりえる。子どもが感じているであろう苦痛に気づいて声をかけることもできる。時に家族の誰かが家の外で溜めてきたストレスを家族の間で吹き出すこともあるでしょう。それを見守る側にもストレスがあることでいつもよりも混乱が深まることもあるでしょう。困難はあれど、総じてみな同じ状態にいるパターンです。


 

■日本人妻と外国籍夫が夫の国で暮らすケース 

カウンセリングの場面で多くお会いする組み合わせは、日本人妻と外国籍夫という国際結婚家族が夫の国で暮らすケースです。妻に家族の外とのつながり、仕事などの社会的な役割がある場合には、妻が孤立化することなく、夫婦間のパワーバランスは保ちやすいですが、海外で仕事を持つことは容易なことではありません。子どもがいる場合はなおさらでしょう。

一方で、妻が主婦業をメインとし、家族内での人間関係がメインであった場合、夫を通して社会とつながる形になり必然的に夫に頼る場面が増えます。だんだんと夫が家族内で持つ権限や役割が大きくなるのは自然なことでしょう。この夫婦関係がうまくいっている間はなんの問題ないでしょうが、いさかいが生じた場合、夫婦間のパワーバランスの差が双方にとって心地いい生活環境を維持するのにマイナスに働くことは容易に想像できます。また夫婦間に意見の相違が起こった時、双方の意見が対等に扱われないこともあるでしょう。こういった夫婦間のパワーバランスは子どもを含めた家族内の力動に大きく影響を与えます。

■子どもはパパとママに何語で話す?日本人妻と外国籍夫が夫の国で暮らすケース 
上記の夫婦にお子さんがいる場合について考えてみましょう。お子さんはパパとの間、ママとの間で言語を切り替えていますか?それは、お子さんが同時に2人に話しかけることができない状況と言えます。どちらかを意識的にまたは無意識的に選ばなくてはいけない状態です。幼少期はママと過ごす時間が長く、べったりな時期があるでしょう。青年期に入り、お子さんが現地校に進んだ場合には、学校の同世代間で使う言語が​子どもにとって最も使用頻度の高い言語となり、目まぐるしく発達させていきます。

子どもが思春期に入ると、成長や自立心の発達に伴い、親に対して何でも話すことはしなくなります。加えて、十分に使いこなせない言語(現地校に通うこのケースでは日本語)を用いることを子どもが恥ずかしがり、話すのを避けるといった、思春期の親離れよりもいっそう複雑な状態が起こり得ます。

ママと話している最中に子どもが苛立つ、そんな経験はありませんか?もしかしたら、このような混乱が子どもの中で起こっている可能性があります。甘えたい思いが思春期と不得手な言語という2つのハードルによって邪魔されて、スムーズに伝えられない葛藤、ストレスがあるのです。

一方で、ママにとっては、それらの子どもの変化を、成長の一環、親離れのプロセス。そう割り切って手放しで喜ぶことは容易ではないと思います。「異文化の不便さの中、時に孤独を感じながら子どもたちと家を守りながら頑張ってきたママの大変さを誰もわかってくれていない」時にそんなふうに感じることもあるでしょう。ご自身がその悲しみに気づいていない場合、「日本語を勉強しない」とお子さんを叱る形で悲しみが表出したりと、一層、親子の間がもつれる場合も少なくありません。

これらに気づいていれば、このこじれをどんな方法で補強し、子どもの成長に伴う家族のライフサイクルの変化を超えていくのか、意識的に考えていくことができるでしょう。言葉を超えた共通のアクティビティを見つけたり、親子が結束できる機会を持つなど、家族それぞれにあう形を見つけていくことが可能になるでしょう。

■自分の状態に気付いていること、意識的に選択していくことの大切さ
​元来のあなたが有している強み・レジリエンスが新しい土地で弱ってしまったことで、他の対処スキルも引きずられるように相対的に効果的に機能しなくなることがあります。*6

あなたは弱ってしまった元来の自分自身の強みに再び息を吹き入れるように、ゆっくりと自分のやり方、自分のペースを取り戻していくプロセスを歩む必要があります。かつて自身がどういった強みを用いて生きてきたのか、自分を振り返ることで、自身を取り戻す機会になることもあります。この難局を超えるためには、自分を知っていることがとても大切なのです。

 

新しい居場所で自分なりの心地よさ、安心感を得るべく変化していくプロセスにおいて必要なことは「自分の今の状態に気付いていること、意識的に選択をしていくこと」であると考えます。ひとりで気付くのは容易ではありません。対話を通して、あなたに投げかけられる問いを通して、自分の強みを思い出し、息を吹きかけるようにして再び自分の強みを育てていく時間を持ちませんか?

生きづらさを抱えてらっしゃる方、ご自身のバランスが崩れている、自分のペースを見失ってしまった、そんな感じを抱いてらっしゃる方、「ご自身の気持ちに耳を傾けるためのお時間を取る」そんなつもりで、お話ししてみませんか?

ひとりで抱えるには苦しみが大きすぎる。そんな時は連絡ください。隣であなたの気持ちに一緒に触れることで、何かお手伝いができるかもしれません。いつでもご連絡ください。

今日は選択日和 いのうえ

参考著書:
*1:Berry(1994)

*2:E.T.Hall(1976)

*3:Kübler-Ross(1969)
*4:Betancourt and Lopez(1993)

*5:Antonovsky(1987)

*6:Lahad(2013)

*7:Iyengar(2010)"The Art of Choosing" サミュエル・P・ハンティントンの「文明の衝突の時代」を引いて

*8:阿部謹也(1995)「世間」とは何か

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