
かぞくの形について考えてみました
「家族関係学を学んできました」とか治療から予防、社会復帰までの領域で「家族支援を専門にしています」なんて言うのなら。
「あなたの家族観を聞かせてよ」
そんな声がわたしの奥のほうから聞こえてきたので、「かぞくの形について」わたしのかぞく観を書いてみようと思います。

「家族」
みんながよく使うこの単語。でも、どれひとつとして同じ家族の形はない。
「家族」
どうやってできている?どうやってつくる?教わるものじゃないし、どこかで教えてくれるものじゃない。
「家族」
幸せな家庭を作ります!ってあの日誓った手前、俄然、力が入る。一生懸命だからこそやっちゃいがちな、理想的な家族の形を追ってしまうパターン。
「家族」
ちゃんと立派に見える家族の形(張りぼて)を最初に作る。こんな屋根の下で暮らしていると、こんな気が起きる。
立派な母でいよう。立派な妻でいよう。立派な父でいよう。立派な夫でいよう。
ちゃんとしなきゃ。ちゃんとやらなきゃ。もっともっと。
理想の家族はこんな無言の圧力をひとりひとりに与える。
「家族」
外からみるとちゃんとしてて立派そうで幸せそうな家族。でも中を見ると、誰ひとり笑っていなかったりする。中にいるひとりひとりが悲鳴を上げて無理をしている。
立派な張りぼてみたいな「家族」をちゃんと守らなきゃって。張りぼてだけが立派に見える。ひとりひとりが苦しんで見える。「居場所がない」って悲しむ声が聞こえる。
一方で、こんな「かぞく」がある。
まずは、自分の幸せ。そして、パートナーの幸せ。子どもの幸せ。
それが何かつかむために、中にいるひとりひとりを見る。よく見る。知る。知ろうとする。
個性や癖や素敵なところやイケてないところ、全部ひっくるめた目の前のあなたを知ろうとする。
そのひとりひとりの柱の上に、合う屋根を乗っける。
たいてい、でこぼこしてていびつになる。外から見るとぶかっこう。
中を見ると、ひとりひとりが笑っているのが見える。聞こえる。楽しそう。
それに名付ける。「かぞく」って。
生きているひとりひとりが一番大事。
「かぞく」の形は二の次。そんなかぞく。
「かぞく」
ひとりひとりが笑っていられる形に「かぞく」と名付けたその場所は、どんなに居心地がいいだろう。だってひとりひとりにしっくり合ったおうちの形なんだもの。そこには笑顔がある。ユーモアがある。温度がある。
「かぞく」
それは、TVが流す幸せそうな家族像とはだいぶちがう。お父さんとお母さんと子どもって決まった型があるわけでもない。血がつながっていないこともある。同じ場所に住んでいないかたちもある。法律上は家族じゃないこともある。
それでもひとりひとりが「ここがあたしの居場所だ」って感じられる「かぞく」
外からは立派そうに見える日本の「家族」の中で起こっていること。
年間3万人の自殺者。年間8万人の行方不明者。虐待。DV。
あなたが今握りしめている価値観は「ちゃんとしてる幸せそうな家族」に必要なもの?
それとも。
幸せな自分と笑っているパートナーと子どものための「かぞく」に必要なもの?
「かぞく」の形は変わる。どんどん変わる。だって。ひとりひとりは毎日変化していくから。
夏に大好きで毎日遊んでいた遊びも、今はもう見向きもしないの。ひとってそういうもの。
ひとりひとりは毎日毎日アップデートしていくの。
だから「かぞく」も時々アップデートしていかないと。おいつかない。
ここで「???」なんか違和感???って感じたら、いいアンテナ持ってると思う。
結婚で始まるんだよね、たいていの家族は。結婚は「永遠に変わらない」約束のもとで始まってるから厄介。
「かぞく」に必要なのは、
永遠に、毎日かわりつづけるわたしとあなたを大切にして、すり合わせること、なのに。まったく反対の約束しちゃってるの。結婚から始まる「家族」のトリック。
手のひらのなかの価値観を、ひとつづつ。
今の自分にあったものを選びなおし続ける。
生きることはその連続。
それをひとりひとり、みんながする。
それをすり合わせて「かぞく」を作りなおし続ける。
そんな壮大な挑戦がおうちのなかで行われている。
それぞれ違っていてこそ「かぞく」
そんなわたしのかぞく観。
「家のなかに苦しさがある」そんなあなたへ。
家族は閉じていると煮詰まってしまうのかもしれません。時には、窓を開けて風を通して、部屋の空気を入れ替えるように。健やかに生きている家族の外のひとたちと緩やかにつながることは、通気性をよくするみたいに、家族のバランスを健やかに保つのには必要なのかもしれません。
「家が居心地よくない」そんな時は家族のバランスを取り直す必要がある時なのかもしれません。隣であなたの気持ちに一緒に触れることで、何かお手伝いができるかもしれません。お気軽に連絡ください。
今日は選択日和 いのうえ